わたしとかなこ 1

3月10日、新宿伊勢丹でDiorの新色リップを塗った唇をゆるくカーブさせ、彼女は私に「似合う?」と聞いた。かなこ(仮名)という女だった。彼女とはここ1年で月に一度くらい会うようになったが、それまでの4~5年間、ずっと会うことはなかった。

かなこと私は同じ幼稚園に通っていた。同じ小学校に上がる頃には、趣味嗜好も似ていたことから自然と仲良くなっていた。同じ町内に住む、いわゆる幼なじみだった。
昼休み、校庭に駆け出して、このまま一回転してしまうのではというほど二人乗りのブランコを強く漕いだ。群生する謎の赤い実を、“幼さ”ただひとつで戸惑いなく共に食べた。目がでかい女の子が出てくる漫画を描いて見せあった。かなこの家に初めて泊まった日、かなこの母が作ってくれたハンバーグが自分の母のハンバーグと全く違うことが衝撃だった。(かなこんちのが大きかった)

リップは大人になったかなこによく似合っていた。私は「似合う」と簡潔に回答した。似合うと言ったのにかなこは「すこし考えます」と購入を保留にする旨を店員に告げた。そして「めへさんも試したらいいよ、さっき見てた色」と、私に薄いピンクのリップを勧めた。

「めへさん」というのはかなこだけが呼ぶ私のあだ名だ。本名とは全く違う。由来は秘密だ。中学に上がるころから呼ばれはじめた。クラスが同じになることは一度もなかったが、部活も塾も同じだったので疎遠になることはなかった。
高校は別々のところに進学した。このとき、かなこが引っ越しをしてしまったが、幸いにも隣県だったので会えなくなることはなかった。女子高生になった私たちは携帯を手に入れて、たまに落ち合ったりメールをしたりして、近況を報告し合った。お互い青春を無駄遣いしていた。

DiorカウンターのBAは手際よく私の唇の縦じわを消し、薄ピンクのリップを腫れぼったく塗る。鏡に写る自分は31だが、それでもだいぶ歳を取った。この年齢にこの明るい色のリップは大丈夫なのかとハラハラする。
「めへさんその色いいね」
かなこは心を読んでいるのか、いないのか、鏡越しに私に話しかけた。

鏡に映るかなこも31歳、いい大人だ。中学生、高校生、専門学校と歩んできた彼女の、そのすべての時代の顔を浮かべることが出来る。幼馴染って本当にそうなんだなと自分で思うほど、かなことは学校が違っても、勤務先が違っても、住んでいる県が違っても、ずっと一緒に遊んでいた。でも唯一、思い浮かべられない時期がある。社会人になってからの数年だ。それが冒頭の5年、全く会っていなかった5年だった。
私たちは些細なことで大きな喧嘩をして、会わなくなった。5年間、かなこのことを考えないことのほうが少なかった。思いだしては怒り、悲しみ、嘆き、反省し、後悔した。5年ぶりに和解し、会うことになった日の緊張をよく覚えている。自分の結納より緊張した。

「いまなら名入れもできますよ」
その販促に惹かれたのではなく、かなこが色をほめてくれたから、リップは買うことにした。名入れする内容を尋ねるBAを前に「なんて書こう?」とかなこに相談すると、彼女はニヤッと笑って「TESTER」と答えた。こういうつまらない冗談を言うのだ。私は紙に「TESTER」と書いて、BAに渡した。(まじでなんでもよかった)

実は、自分で自分のことを、少しでも文章を書けると自負しているなら、絶対にこのことを書いておきたいと思ってこのブログを始めた。でも全然うまく書けなくて今日になった。31歳が33歳になった。少しずつ書いて、自分で整理していく。

200日間

「書く」「文章を書くのが好き」などと宣ってから200日過ぎていた。好きなものは好きだがそれ以上にモンハンの方が好きなんだもん。いまMR300になりました。金曜日からマムが来るので楽しみです。

 

200日前、私は陰鬱で根暗な人間だと言ったな。もちろんいまもそれは変わっていない。そんな人間に、この200日の間で、ブログにわざわざ書いちゃうような特別なことが起こると思うか? 逆に聞きたい。起こるわけがない。まあ正確には、モンハンのMRが300になりましたみたいな非常に細かいことならたくさん日々起こっているし、それなりに頑張って生きているけど、根暗な人間っていうのはそういうとき100%「この程度のこと、みんなに普通に起きていることだからこんなことを文章にしても全く面白くないはずだ」という卑下が始まるんだよ。身に覚えがない人は多分、タピオカ飲んだとか今日の夕飯とかをいちいちブログとかインスタにあげているタイプの人だ。いわゆる陽キャというやつだ。でも我々陰キャには、自分自身のために書いている、という一番大事なことを頭では理解しているけど、それを実行に移そうとすれば「まじで? こんなつまんないこと? 誰のために? ていうかこんなことしか書く内容ないんだ……」という自己憐憫にも似た憂鬱が存在するんだよ。たかがタピオカの写真あげるくらいで。そのくらい陽キャと思考プロセスに違いがあるから、根暗な奴って面倒なんだよ。私だ。

 

原点に戻ろう。そう、ここは誰にも教えていない私のブログで、誰に見せるためでも、誰を楽しませるためでもない、自分が好きなことを書いていい自由な場所だ。本来の文章、ブログを書くということは本来こうあるべきみたいな場所だ。そんなこと考えないで好きに、MR300の話でもなんでもいいから書くのだ。

 

というわけで以下は推敲とかなく自由ね。

しかし200日ってすごいね。自分でちょっと読み返したが、32歳だった。いま33歳だもん。たった1歳だけど若いなと感じてしまったわ。200日の間に季節が変わり、謎の疫病が流行るようになってしまった。誰も全然予想できなかったよね。たった200日でも人生は大きく変わるということをなんとなく実感している。まあ流されて生きているだけだが……。

この200日でモンハンを買い、MR300になり、クッキーの焼き方を覚え、33歳になった。ぱっと思いつくのはそのくらいだ。お菓子つくりにちょっと興味わいたんだよ。バターの消費量がシャレにならんので買う方が安いなと毎回焼くたびに思う、味の感想よりもだ。私、裁縫ちょっとだけできるんだけど、マフラー編みながら「自己満足だよなあ、買った方が安いもん」と思っていた。料理も同じだね。皿とか洗わなくていいし。でも作る工程が楽しいと思えちゃうから麻薬だわな。

モンハンは相変わらず面白いよ。IBになってやることが増えた。結局過去のモンスター頼みかよって思う人もいるだろうが、それでも武器操作がそもそも変わってるし楽しめている。使っているのは大剣だよ。イヴェルカーナが戦いやすいね。クラッチシステムにはいつ慣れるのか目算つかない。なんでクラッチシステムなんてあるんだろう。クラッチ前提にして全体を糞肉質にされているのが一番納得いかない点ですね、IBで。それでも新しくサークルにも加えてもらって、たまにみんなで遊んで、結構楽しい。長く遊べたらいいな。

33歳になって、別に体感的には何も変わらないが、不惑の40歳を前にやっぱり30代って焦るのかしら? 理由なくソワソワすることが増えた。うつ病かなと思ったけど全然思い当たる節ない(多分自分なら躁鬱みたいになるはずな)ので、若くないなというのを実感として得ちゃってびびってるのかも。初の体験だもんね、若くないって。これまでずっと若い時だったからな。

でも、今後どうなっていくんだろう、て思うだろ。みんな。私もいまそう思ってる。だけど、確かに20代のころもそういうこと考えていたけど、そのころの「今後どうなって」とはいま全然違う。20代のころは怖さ、恐怖しかなかったけど、いまは「まあ別にいいか」という謎のあきらめがでている。この根暗な私にそういう楽観的な面があるとは……自分でも新たな一面を発見して動揺するが、だめだったら仕方ないな、どうせ自分だから、て思っている。逆にやばい域に達しているのかもしれないが……。子供もいないからね。身軽なもんよ。

そんな感じで200日にはお金で換算すると1円みたいなことが無数にあった。その1円のことを今後も書いていこうと思う。

思春期の人に近寄りたくない

生まれながらにひねくれている私でもやはり高校時代が特別ひねくれていた。思春期とは恐ろしいものだ。しかもそのとき不必要に人間の尊厳とか価値とかへの意識が高まっていたので、人類はこの地球上においてみな平等、顔がブスでも50m走が遅くても本質は同じ、悪口はやめよう! みんなちがってみんないい! という使い古された思想が全身にみなぎっており、手に負えない状態に仕上がっていた。

大人になった今でこそ思うが、思春期の人間ほど相手にしたくないものはない。だってあいつら遠巻きに見守るしかマジで方法がない。下手に手を出すとその鬱屈とした感情をぶつけられ消耗するし、相手が異性なら冗談じゃなくて事案になるかもしれないし。相対する者にとって思春期の人間とは"it"だ。絶対に倒せないゲームのボスだ。

その日、思春期真っ盛りだった私というitは、英語のテストを受けていた。もうあまり覚えていないが、どこかの途上国にいる、貧困にあえぐ人々の暮らしについての英文を用いた文章題があった。彼らは貧困ゆえ学がなく、雀の涙ほどの給料で富裕層にこき使われ、生活は苦しいのだった。
「彼らに食事をやることは……」
確かこういう書き出しの設問が出題された。これを見た私は"仕上がっていた"ので、試験中静かに激怒した。"やる"とは何事だ。そこに主従関係があれど同じ人間。「犬にやる」のような表現をする時点で出題者からは差別的な思想がうかがえる。物を扱うように人を扱うべきではない。試験ゆえこの問題には解答するが、本当ならばこのような表現に触れたくもない。そもそも人類の平等とは……。
解答用紙の欄外にほとばしる熱いパトスを書きなぐった。のちにこの経験は32歳になる現在まで自らを苦しめる黒歴史となるのだが、女子高生の私はその歴史を見事に書ききってしまった。未来の自分を全く恐れないあの若さはそれでも眩しい。

答案が返却されると、そこには丸とともに、英語教師からの返事が書かれていた。私もそう思う、人類は平等であり優劣をつけるべきではない、というような同意だった。
完全に意表を突かれた私は困惑した。お前がこの問題作ったんじゃないのかよ。こんな思春期の生徒のガバガバ理論なんか無視して鉄仮面で丸つけに徹してくれ。話を合わせにくるな。もしかしてお前も"仕上がって"いるのか?
英語教師は髪を撫で付けた中年のおっさんだった。イギリスかぶれという言葉があんなにしっくりくる外見の男性は彼をおいて他にいない。授業以外で普段話すこともなく、見た目からしいけ好かないイギリスかぶれの彼が見た目からしてやはり影響されやすかっただけか、はたまた面倒な生徒に話を合わせにいったのかは不明だが、思わぬところで自身の思想を晒し、同調してきたのだった。そして、思春期の少女とはつくづく残酷なもので、その返事を見た私はというと、自身の内で青春を糧に燃え盛っていた人権意識の炎が鎮火されていくのを感じた。

思春期の少女はおっさんに理解してほしかったわけじゃないし、別に同じ目線に立って欲しかったわけでもなかった。つーかどうせなら若いイケメンがよかった。
だいたい、思春期特有の「誰にも理解されない」という孤独感は、つらいけど気持ちよくもあるのだ。そういうアンバランスな感情に酔っているところだってあるって、経験してこなかったの? 仕上がってるからか? 予想外に迎合され冷めていく感情。私は子供に戻りきれず、でも大人の価値観にも絶望していて狭間でウンウン悩んでいるのに、その大人たるおっさんに理解を示されるなんて闇が微笑んでくるようなものだ。(暗黒微笑)である。というかお前だろこの問題作ったの。

itには関わるべきではない。平等だとか人間を物扱いするなとかなんだと言いながら自身が最も排他的になるのが思春期だ。こんな不条理な嫌われ方をするのだから近寄るべきではない。遠くから見守るのが一番ベストなのだ。
英語教師はその後、ある女生徒にヴィトンのバッグを貢いでいたという密告により失脚し学校を去った。しかも女生徒本人にチクられていた。一度バッグを貢がせたら馴れ馴れしくなってきたので、鬱陶しく思った彼女の厄介払いだった。そのあまりの手際のよさに多少なり心が痛んだりしないものかと思ったが、彼女の中であの男は完全に奴隷であり、ヴィトンのバッグ程度の価値であった。お前が物扱いされてるじゃねえか。

あさりんの百式観音

SFCミニやらせてもらって欲しくなり地元で即買いした。何年ぶりかに元祖を出したら日焼けしていて月日の経過を感じる。経過しているのは月日だけで本人は老けながらも変わらずゲームに興じているのだ。大連鎖とかするとIKKOのようにはしゃぐのも変わっていない。

SFCミニのなかにはパネルでポンという思い出深いパズルゲームが入っている。小学生の頃めちゃめちゃ流行った。
あさりん(友達)とやるときが一番楽しかったが、あさりんはお家の都合で引っ越してしまった。思えばあれが初めてのお友達とのお別れだった。

あさりんはパネポンが上手くて頭の良い子だった。やたら操作が早く、カチャカチャというコントローラーの操作音をネテロみたいに置き去りにしていた。あまり勝てた記憶がない。
クラスは違ったし家もそう近くはなかったがあさりんとは放課後よく遊んでいた。その日もあさりんの百式観音“九十九の掌“で滅多打ちにされていると、「あたし香港に引っ越すんだ」と告げられた。

小学生にとっての外国とはそれこそ暗黒大陸である。全員銃を持っていて、子供は「あい」と喋り大人は球体のはずだ。むこうで学校に通うと言うが511キンダーハイムみたいなところだろう。そんなところにあさりんが…。
子供の私は「えー!」と叫んで、じゃあもう会えないんだね、と言った。
あさりんと出会えたこれまでの全てに感謝しながら転校するまでパネポンで遊んだが、手でハートの百式観音に結局負け越したまま終わった。

大学生になってまたSFCが流行って、「パネポンわりと出来る」と言う友達に挑まれ大人げないほど圧勝した。「絶対に倒したい」とライバル認定され何度も挑まれたので、二度とパネポンをやりたいと思わなくなるよう念入りに叩きのめした。人間の底知れぬ悪意である。
勝てるのはあさりんだけなのだ。H×H終わるまでにはもう一回対戦したいな。実家で全巻読んできた。

人間タンポポ

あの日ほどここで死にたいと思った日はない。メガテン25周年ロウコンサートに行った日のことだ。モンハン好きだと思われているが最愛は真女神転生だ。

夢のようだった。
コンサートをやると知ったときは「ペルソナの間違いではないか」と耳を疑った。ペルソナに比べれば普段グッズもイベントもないメガテンが突如コンサートとは信じられない、それだけでもう感無量で骨が熱かった。セガの販促はすごい。現場に行ったらサウンドシステムから曲が流れるだけでしたとかでもこの際良いと思いながら、そしてコンサートを終えて、結果今まで行ったどのゲームコンサートよりも良かった。

感動しすぎて悲しくなりそうだ。とにかく演奏がいい、アレンジがいい、芸劇の音響がいい、真1がいい。そう、真1はいい……新宿と人間タンポポなら新宿の方が印象に残っているタイプだったので、新宿やらないのか~と残念がっていたら、人間タンポポが知らない曲に思えたほどかっこよくアレンジされていて新宿のことは忘れた。邪教は本当にそのままの生きた邪教で、パイプオルガンの生演奏を結婚式以外で初めて聴いたので珍しくて、オーチャードじゃないのはなぜかと思っていたけどあれがあるから芸劇だったんだな……。
OP~通常戦闘までの流れは一言も表現できない、ずっとピューリッツァー賞の表情で聴いていたし「とても良かった」、改めてこの言葉の重さたるやこの上ないな。SJの通常バトル曲はコーラス隊がちゃんといて感激だが、それにしてもあれはなんて言っていたんだろう。

もう一度行きたい。
「ラストオブアスをやったことのない体に戻りたい」と何度も思ったことがあるが、今日からそこに「ロウコンを経験する前に戻りたい」が加わった。強引にねじ込んだがラスアスも面白いよ。続きが出るって聞いて楽しみ。

ところで会場にメタルTシャツ着てる人がいて、やっぱり悪魔とか好きなんだな。

文章を書くのが好き

人に褒められたことがあまりない。親にさえ褒められたことがほぼない。こんな書き出しをして、私がさぞ根暗で陰気な人間なのだろうと思われるだろうが、その通りだ。自他共に認める卑屈さである。もしかしたらこれまでに、他人が私のことを褒めていたこともあったかもしれないが、卑屈なので全くその意図を汲み取れなかった。
たとえ褒められなどしたら、何か裏があるのではと逆に悩む。これでは相手にも申し訳ない。であればいっそ誰ともあまり関わらない方が双方よかろうということで、人間関係も努めて希薄にしている。いま32歳。つらい32年間であった。

そんな私だが、唯一、好きなことがある。作文である。
文章を読むのも書くのも昔から好きだった。子供の頃は作文、大人になったら資料、ブログ、Twitterと、書くものにはやたらと打ち込んだ。
ある日、インスタグラムをはじめた。職場の同僚から勧められてアカウントを開設した。しかし投稿するような素敵な写真がなく、フォローしている同僚のタピオカだとかパンケーキだとかの写真を見ては「遠い世界だな」と感じていた私は、ある日いきなりヤケを起こした。仁も義も、礼も智も忠も信も孝も悌も写真もないが、文章ならあるぜ。キラキラ写真選手権たるインスタグラムに長文を書き込んだ。パンケーキやタピオカの写真は持っていないので適当に検索して出てきたドラゴンボールの画像をつけた。文章とは何の関係もなかったが、仕様上必要だったので仕方なかった。それに、異世界に乗り込む私にはフリーザの不敵な笑みが頼もしかった。
次の日から、投稿を読んだ同僚たちからお褒めの言葉を続々いただいた。いいねを沢山貰えてしまった。記事はどうでもいい幼少の頃の思い出を書いたものだ。自分には何の価値もないと思っていた私は、寄せられる「面白いね」「コラムみたい」の声にまず怯えた。お前ら、私の幼少期に興味なんてないだろう。フォローしている他人の投稿にはコメントしなければならないみたいなSNSの恐ろしいルールを聞いたことがあるので、そういうことだと思っていた。ここはとんでもない病巣だなと思っていた。
でも、長文を書くのが好きだった。布団でスマホをポチポチと触り文章を打っていたあのとき、ひとりでに楽しくなった。だから、味をしめてもうひとつ家族のことを投稿した。そして、再び怒涛のいいねとコメントがついた。何度かそれを繰り返しているうちに、さすがにこれは褒められているのでは? と思い至った。
「いいね👍」に踊らされた女と思うだろう。自分でもそう思う。でも、それならば喝采の舞台を永遠に降りないさ。私はそのあとインスタグラムを辞めた。
同僚が惜しんでくれるので「やはり合わなかった」「私には眩しすぎる」と答え続けている。「購読していたのに」と言われたことが一番嬉しかった。購読、そうか、見るじゃなくて。あのインスタグラムで、文章の方で。読んでいてくれていたんだ。

私は思ってしまった。はじめてこんなに人に褒めてもらえるなら、もしかしたら特技に出来るのではと。何も魅力のない私が持てるかもしれない唯一の剣なのではと、思ったら、やってみたくて……はてなブログにアカウントを開設した。同僚には誰一人として教えていない。ひっそり書き続けて、文章がうまくなったらいいなと思っている。自信にならなくてもいいので、書いてみたかったのだ。なにを書いていこうかな。