文章を書くのが好き

人に褒められたことがあまりない。親にさえ褒められたことがほぼない。こんな書き出しをして、私がさぞ根暗で陰気な人間なのだろうと思われるだろうが、その通りだ。自他共に認める卑屈さである。もしかしたらこれまでに、他人が私のことを褒めていたこともあったかもしれないが、卑屈なので全くその意図を汲み取れなかった。
たとえ褒められなどしたら、何か裏があるのではと逆に悩む。これでは相手にも申し訳ない。であればいっそ誰ともあまり関わらない方が双方よかろうということで、人間関係も努めて希薄にしている。いま32歳。つらい32年間であった。

そんな私だが、唯一、好きなことがある。作文である。
文章を読むのも書くのも昔から好きだった。子供の頃は作文、大人になったら資料、ブログ、Twitterと、書くものにはやたらと打ち込んだ。
ある日、インスタグラムをはじめた。職場の同僚から勧められてアカウントを開設した。しかし投稿するような素敵な写真がなく、フォローしている同僚のタピオカだとかパンケーキだとかの写真を見ては「遠い世界だな」と感じていた私は、ある日いきなりヤケを起こした。仁も義も、礼も智も忠も信も孝も悌も写真もないが、文章ならあるぜ。キラキラ写真選手権たるインスタグラムに長文を書き込んだ。パンケーキやタピオカの写真は持っていないので適当に検索して出てきたドラゴンボールの画像をつけた。文章とは何の関係もなかったが、仕様上必要だったので仕方なかった。それに、異世界に乗り込む私にはフリーザの不敵な笑みが頼もしかった。
次の日から、投稿を読んだ同僚たちからお褒めの言葉を続々いただいた。いいねを沢山貰えてしまった。記事はどうでもいい幼少の頃の思い出を書いたものだ。自分には何の価値もないと思っていた私は、寄せられる「面白いね」「コラムみたい」の声にまず怯えた。お前ら、私の幼少期に興味なんてないだろう。フォローしている他人の投稿にはコメントしなければならないみたいなSNSの恐ろしいルールを聞いたことがあるので、そういうことだと思っていた。ここはとんでもない病巣だなと思っていた。
でも、長文を書くのが好きだった。布団でスマホをポチポチと触り文章を打っていたあのとき、ひとりでに楽しくなった。だから、味をしめてもうひとつ家族のことを投稿した。そして、再び怒涛のいいねとコメントがついた。何度かそれを繰り返しているうちに、さすがにこれは褒められているのでは? と思い至った。
「いいね👍」に踊らされた女と思うだろう。自分でもそう思う。でも、それならば喝采の舞台を永遠に降りないさ。私はそのあとインスタグラムを辞めた。
同僚が惜しんでくれるので「やはり合わなかった」「私には眩しすぎる」と答え続けている。「購読していたのに」と言われたことが一番嬉しかった。購読、そうか、見るじゃなくて。あのインスタグラムで、文章の方で。読んでいてくれていたんだ。

私は思ってしまった。はじめてこんなに人に褒めてもらえるなら、もしかしたら特技に出来るのではと。何も魅力のない私が持てるかもしれない唯一の剣なのではと、思ったら、やってみたくて……はてなブログにアカウントを開設した。同僚には誰一人として教えていない。ひっそり書き続けて、文章がうまくなったらいいなと思っている。自信にならなくてもいいので、書いてみたかったのだ。なにを書いていこうかな。