思春期の人に近寄りたくない

生まれながらにひねくれている私でもやはり高校時代が特別ひねくれていた。思春期とは恐ろしいものだ。しかもそのとき不必要に人間の尊厳とか価値とかへの意識が高まっていたので、人類はこの地球上においてみな平等、顔がブスでも50m走が遅くても本質は同じ、悪口はやめよう! みんなちがってみんないい! という使い古された思想が全身にみなぎっており、手に負えない状態に仕上がっていた。

大人になった今でこそ思うが、思春期の人間ほど相手にしたくないものはない。だってあいつら遠巻きに見守るしかマジで方法がない。下手に手を出すとその鬱屈とした感情をぶつけられ消耗するし、相手が異性なら冗談じゃなくて事案になるかもしれないし。相対する者にとって思春期の人間とは"it"だ。絶対に倒せないゲームのボスだ。

その日、思春期真っ盛りだった私というitは、英語のテストを受けていた。もうあまり覚えていないが、どこかの途上国にいる、貧困にあえぐ人々の暮らしについての英文を用いた文章題があった。彼らは貧困ゆえ学がなく、雀の涙ほどの給料で富裕層にこき使われ、生活は苦しいのだった。
「彼らに食事をやることは……」
確かこういう書き出しの設問が出題された。これを見た私は"仕上がっていた"ので、試験中静かに激怒した。"やる"とは何事だ。そこに主従関係があれど同じ人間。「犬にやる」のような表現をする時点で出題者からは差別的な思想がうかがえる。物を扱うように人を扱うべきではない。試験ゆえこの問題には解答するが、本当ならばこのような表現に触れたくもない。そもそも人類の平等とは……。
解答用紙の欄外にほとばしる熱いパトスを書きなぐった。のちにこの経験は32歳になる現在まで自らを苦しめる黒歴史となるのだが、女子高生の私はその歴史を見事に書ききってしまった。未来の自分を全く恐れないあの若さはそれでも眩しい。

答案が返却されると、そこには丸とともに、英語教師からの返事が書かれていた。私もそう思う、人類は平等であり優劣をつけるべきではない、というような同意だった。
完全に意表を突かれた私は困惑した。お前がこの問題作ったんじゃないのかよ。こんな思春期の生徒のガバガバ理論なんか無視して鉄仮面で丸つけに徹してくれ。話を合わせにくるな。もしかしてお前も"仕上がって"いるのか?
英語教師は髪を撫で付けた中年のおっさんだった。イギリスかぶれという言葉があんなにしっくりくる外見の男性は彼をおいて他にいない。授業以外で普段話すこともなく、見た目からしいけ好かないイギリスかぶれの彼が見た目からしてやはり影響されやすかっただけか、はたまた面倒な生徒に話を合わせにいったのかは不明だが、思わぬところで自身の思想を晒し、同調してきたのだった。そして、思春期の少女とはつくづく残酷なもので、その返事を見た私はというと、自身の内で青春を糧に燃え盛っていた人権意識の炎が鎮火されていくのを感じた。

思春期の少女はおっさんに理解してほしかったわけじゃないし、別に同じ目線に立って欲しかったわけでもなかった。つーかどうせなら若いイケメンがよかった。
だいたい、思春期特有の「誰にも理解されない」という孤独感は、つらいけど気持ちよくもあるのだ。そういうアンバランスな感情に酔っているところだってあるって、経験してこなかったの? 仕上がってるからか? 予想外に迎合され冷めていく感情。私は子供に戻りきれず、でも大人の価値観にも絶望していて狭間でウンウン悩んでいるのに、その大人たるおっさんに理解を示されるなんて闇が微笑んでくるようなものだ。(暗黒微笑)である。というかお前だろこの問題作ったの。

itには関わるべきではない。平等だとか人間を物扱いするなとかなんだと言いながら自身が最も排他的になるのが思春期だ。こんな不条理な嫌われ方をするのだから近寄るべきではない。遠くから見守るのが一番ベストなのだ。
英語教師はその後、ある女生徒にヴィトンのバッグを貢いでいたという密告により失脚し学校を去った。しかも女生徒本人にチクられていた。一度バッグを貢がせたら馴れ馴れしくなってきたので、鬱陶しく思った彼女の厄介払いだった。そのあまりの手際のよさに多少なり心が痛んだりしないものかと思ったが、彼女の中であの男は完全に奴隷であり、ヴィトンのバッグ程度の価値であった。お前が物扱いされてるじゃねえか。