書けないよ

かなこという幼なじみの話を2まで書いて止まっているのは、ここから先は私の性格上の醜さが溢れる展開になるからです。
かなこと喧嘩したのは私が悪かった、私が原因だった。心からそう思います。仲直りして何年か経ついまそう思う傍らで、いまでも「それでもかなこにも悪いところがあった」と思ってしまう薄暗さがあります。
これが私ではなく他人の話なら、喧嘩両成敗よと軽く言えるんだけど、そしてそう言えるのは私が子供の頃からずっと他人との境界が曖昧なせいであらゆる出来事を自分のせいにし続けてきたからこそ、歳を取ったいまは開き直って何事も「両成敗よ」と言えるんだけど、私かなこの一件だけは最後に全て自分のせいにしたい。なぜかは分からない。
しかし何度書き直しても「私ここまで悪くないです」な記述になってしまう。難しい。私は悪くて悪くないな。

よくわかんない話

電子コミックがかなり広がっているし、実際私も紙の本を買わなくなってきた。
紙の方がいい、開けばすぐ見られるし、という私が感じる紙の最大のメリットを抑え込んででも電子コミックにしているのは、単純に「紙の本を置く場所がない」からだ。
同じ理由でフィギュアも買わない。造形の美しいものとか、好きなキャラクターのものなんかは非常に欲しいのだが、本当に置く場所が無い。わざわざそのために飾り棚を買うほど熱心なフィギュアマニアではないから「(置く場所ないから)買わない」という判断を下している。

株式会社って、株主の半数以上は1単元だけ持っている株主たちじゃないだろうか。純粋に人数だけで考えた場合。要はライトユーザーが人数的にはほとんど。
株を大量保有している株主が少数しかいなくても議決権を過半数以上持っていたりすれば関係ないので株に関しては人数は問題にならないからそれでうまく回っているんだろうけど、これが漫画の場合、一人で10冊も20冊も買う大量保有株主はほとんどいないだろう。
漫画が株式会社の株主構造と同じで、その購入者がほとんどライトユーザー(つまりちょっとその漫画が好きとか、興味があるとか、惰性で買ってるとかだ)として……勿論中には一人で100冊買うような本物のファンもいるとは思うけど、そういうライトユーザーがいままで買い支えていたところに「置く場所がない」とか言い始めたら、どんなに面白くてもどんなにいいお話でも、もう漫画の内容と関係なく、買わなくなる。
家の、家具の、スペースの問題になってしまって「それでも置きたい」となかなか思うことなんてない。家具買うのってホイと簡単に買うようなことじゃない。
これが100冊買うヘビィユーザーなら買うのかもしれない。
でも私たちライトユーザーはライトと自称するだけあって漫画のほかにも色々なものが部屋に置かれていて、それぞれを置ける範囲内で集めたい「広く浅く」の人たちだから、置く場所がないなら本棚買えばと言われてソウデスネと頷けるわけではなく、本棚買うならクローゼットを買いたい、なぜなら既に部屋に服があふれているからと返事をしてしまうような体たらくだ。
「置く場所がない」は、本棚買うとか買わないとかに起因したり解決されたりすることではない。漫画を「置く場所がない」のは漫画を買いすぎて置く場所がないんじゃなくて、ほかのもんも全部増えすぎて最終的にこれ以上何も増やせない状態に追い込まれているだけだ。服とか化粧品とかゲームとか。
そしてついに「置く場所が無いから紙の本は買わない」と言い出すのである。

電子コミックに興味が出るのは自然なことだ。部屋を掃除しろと言われればそれまでだが掃除しても限界はある。じゃあ不要なものを捨てろとなるとますます漫画を買わなくなる。逃がせるものは電子に逃がそう、ということで、電子コミックって置く場所とか関係ないからほんといいよね。
ライトユーザーがなぜこんなに部屋に物が溢れるのか、これはライトユーザーというか私に限った話だと思うが、浪費家なのだ。なんでも気になったら買ってしまう。イイナと思ったら熟考せずに買う。集める。飾る。「置く場所ない」が解決された途端、堰を切ったように買い始める。いやあ、電子っていいわ。何の話だっけ?

欲しければくれてやる

いま、続けるということがいかに難しいかを、この放置しまくっているブログで実感している。
私は小学生のころから、夏休み、"計画はいかに計画倒れで終わるか"ということを学んできたつもりだったが、まだ甘かったようだ。
周囲にやると宣言すれば出来る、締め切りを決めれば出来る、そのいずれも私には通用しない。
前者は結果がどうなるか火を見るより明らかなのでそもそも宣言しないし、締め切りは守りこそするが直前になってバタバタ始める。
継続は力なりとはよく言ったものだ。毎日、何でもいいから何かを続ける。これが出来れば大抵のことは達成できる気さえする。

続けていることが何かないかと考えた。受け手になることなら割と続けている。
あまりのレベルの低さに驚愕するかもしれないが、わたし結構化粧品が好きなので、毎月なにか新製品の情報がないかをチェックしている。
チェックするといっても、そういうアカウントをSNSでフォローしておけばあとは勝手に流れてくるのだから、こちらの手間はまるでない。
そう考えると、化粧品の情報、ゲームの攻略法、新しい音楽など、"口を開けて待っていれば向こうからやってくるもの"については割と真面目に継続できているのだ。
消費することのみに優れ、自分から創作し発信することは全然出来ない大人になってしまった。
逆に、このSNSを運営している人たちは情報を私に与えるために日々活動して、見やすいレイアウトにしたりたまにスペシャル企画(プレゼントとか)をやったりし、工夫を凝らして、この一度食いついた魚を逃がさないように尽力されている。
毎日続けるということはすごく大変だけど、その結果、PV数? とか、話題性とか、維持できているし延ばしている。
どっちが偉いとか偉くないとかの話ではないけど、毎日続けるっていうことは本当にすごいし偉いことだ。毎日動画をあげるyoutuberさんとかすごいよね。
仕事だからやってるとか、学校だから行ってるとか、最悪、別にやらなくてもいいんだもんね。やらないと生活できないが……。

まあこうやって発信者側にすり寄ったところで、全然ブログ更新できてないことには変わりない。
別に誰かが見てくれていることを期待していないし、もともと何か書くことが好きだからなんとなしに始めただけなので「不定期でもいいじゃない」と若干開き直ってさえいるが、もうちょっと頑張って更新するようにしたい。
一応言い訳すると、自粛解除されて出社するようになったのであんま暇がない。
テレワークじゃなくなったら更新しなくなっちゃうなんて我ながら結構社会人じゃない? でもそういう中でもどうやってブログ書く時間を捻出するか、そこまで考えないと"継続は力なり"は得られない。力が欲しいか?

笑う人形、泣く人形、怒る人形、眠る人形

タイトルが真2ですが一番好きなのは真1です。

 

あらゆるRPGの主人公の名前を「CB」にするのはメガテンの攻略本の影響です。成沢大輔の書いていた、真女神転生のすべて。私は子供のころ、攻略本を作る人になりたかったくらいゲームの攻略本が好きでした。とにかく読むのが好きでした。友達の家に行き、やっていないゲームの攻略本を読みまくり、毎回思うのは「やっぱりメガテンの攻略本が一番面白いなあ」でした。

 

真・女神転生のすべて」は父親の部屋にあって(メガテンはもともと父が遊んでいた)、表紙・裏表紙には美しい妖精と不気味な悪魔が描かれていました。幼心に気味が悪く、正直読んだら呪われそうで戸惑っていたのですが、攻略本を読みたいという欲……というかほとんど好奇心で表紙をめくったのが最初でした。表紙の裏にあったシトリーの下ネタ4コマ漫画に面食らったのを覚えています。

成沢大輔の文章は、ゲームの雰囲気に合わせていただけかもしれないけど、断定調でさっぱり短く簡潔な、大人がわざと書く味気ない文章でした。子供には新鮮でした。のちに中学生となって安部公房を読んだとき、一瞬成沢大輔が浮かびました。熱心な読者からは否定されそうですが、私の中では両者の文体は結構似ています。

 

金剛神界からヒロインがCBやワルオヨシオを逃がすイベントがありますね。攻略本では「ヒロインは、最後の力できみたちを転送する。行先は、分からない」というような文章が、トラポートを唱えるヒロインの図に添えられていました。しびれました。「行先は、分からない」のところ、なんてかっこいいんだろうと、小学生の私はどきどきした。行先も決められない(決めたのかな? 謎ですよね)危機的状況のなか、決死の思いでヒロインは魔法を唱えたんだなとうかがえるこの一文。次のページで「ああ金剛神界なんだな」と攻略本的にはわかってしまうんですけど、そういうことじゃなくて、なんていうか、ドラマなんです。メガテンはストーリーなんてあってないようなものなのに、成沢大輔の筆によってドラマチックに描かれているんです。このあたりのことを、以前の私がnoteで似たように書いていました。

 

 

成沢大輔の攻略本について他の人がどのように思っているか知らないが、まるでメガテンにストーリーがちゃんとあるかのように書くなあと私は思う。
別にストーリーが無いわけでもないが、やはり基本はどうせ全員殺すからなのか、いくつかのシーンを除いて全然ストーリーが印象に残らない稀有なゲームが、成沢大輔の手によってそんな弱点を取り去られドラマチックに仕上げられている気がする。実際はイベントシーンなどはほぼ流し見し、破魔矢やオートバトルを駆使して戦闘を省略、プレイ時間のほとんどを悪魔合体に費やしているのに、まるで一大ドラマを見ているような気になるのだ。
東京にICBMが落ちるくだり、ヒロインが決死のトラポートで金剛神界へヒーローらを飛ばすあのイベントの際、プレイ画面のキャプチャ画像下の解説文で

「ヒロインは、最後の力できみたちを転送する。行き先は、わからない」

とやたら引きを作る書き方をしていたことは忘れられない。この「行き先は、分からない」というジャンプの次回予告コメントみたいな締め方には痺れた。
メガテンは、殺人事件が起きるとか謎の美少女(アリス)が雇う執事に仲間が殺されたりとか、東京にICBMが落ちる、さらに大洪水になる、飼ってた犬が悪魔になって喋る、というように、起こるイベントのすべてが結構不気味で話題性のあるものばかりなのだが、逆にすべてそんな感じであるせいか淡々と物事が進み、作品全体としてはむしろ落ち着いた印象だ。なので金剛神界に飛ばされる際もヒロインは決死の覚悟なんだろうがこちらは気持ちが盛り上がっていないので、そんなことより月齢ばかり気にしている。それを、成沢大輔のカッコいい解説という素晴らしい合いの手のおかげで、ようやく「なんか今すげえことが起きたみたいだな(来たやつ倒してただけだけど)」と認識することが出来、結果的にストーリーを感じるのだ。成沢大輔の、あのような目に留まる解説がなければ、私はあのイベントも印象に残らない数あるイベントのひとつとしてしか記憶しなかったはずだ。そもそもレジスタンスについての説明が緩すぎるせいでいまいち感情移入出来なかったヒロインにはそんな覚悟があったのかと思える。

 

ほんとに同じようなことを言っていますね。メガテンの話をするとき、私は必ず成沢大輔の話をするので、何度かいても同じような内容になってしまうんですね。

 

「……本当にこれでいいのか?」にぎくりとした読者も、多かったのではないでしょうか。あの攻略本においては。LCルートの結末を解説しておきながら「本当にこれでいいのか」と最後に問いかけてくる仕様、ここまで導いたのになんだよと思いながらも「もしかしてほかにも道があるの?」と思わせる一文でした。そう思うのは初見だけで、ほとんどのメガテニストは「Nもある」ことを分かっているし、分かってからは「はいはい」と思うような一文ですけれど、全く知らなかった小学生の私には「ええっ」と驚く一文でした。じゃあその下に書かれているほうのルートが正解なのかとCルートの結末を読んでも、やっぱり「本当にこれでいいのか?」と書かれている。どういうことなんだろう、ほかに何があるんだろう、白か黒かしかない子供の私は、世の中にまだグレーがあるなんてことを知らなくて、中庸という言葉を知る由もなくて、初めて世間の、大人の感覚に触れた気がしました。まあ次のページにNルートが書いてあるんですが。

 

メガテンの攻略本は文字数が少ないところが悔やまれる点でした。聖剣とか、FFとか、もっと文字があった気がします。もっと細かいところを成沢大輔が掘り下げていてくれたら、私はもっともっと好きになっていたと思います。ページがなかっただけで、成沢大輔はそうしたかったかもしれませんが、もっとメガテンのことを書く成沢大輔の文章が読みたかった。攻略本、実家に帰るたびに読み直すんですが、もってきてもいいなと思います。ダビスタかなにかの攻略本も成沢大輔が書いているんでしたっけ? 買えればいいなと思うんだけど、なかなかない……。

ひと狩り行けない

お題「#おうち時間

 

何度かオンライン飲み会のお誘いを受ける。ありがたいことである。でも、申し訳ないがほとんどお断りをしている。お誘いされておきながら断るなんて良いご身分ですねと自嘲気味になるが、だってなあ。化粧したくないし、着替えたくないし、そもそも普段からそんなに飲み会参加しないもん。

 

正確には一度やって懲りた。相手は上司だった。全然悪くなかったし楽しかったんだけど、間が苦しかった。無言になってしまう間ってことじゃなくて、なんていうかなあ……顔を合わせていると、相手がその場にいると、もっと店内のザワザワ感とか、相手の手わすらとか、卓上の料理とか、そういう言葉以外の環境があって、微妙な隙間隙間を埋めてくれていたんだけど、それがないとどうなるかって……自分がやらないといけないんじゃないかって気がしてしまった。別に無言でいてもいい相手ならそんなことなかったんだろう。極端な話、いきなりスマホ見始めてもいいのかも。だけど相手が上司で、顔と声くらいしか共有してなくて、環境を一切共有してないってなると(見えてるけどそういうことじゃないんだ)、もう必死こいて喋らないといけなかった。強制されてもいないのにね。タイミングもつかみづらくて、同時にしゃべり始めてしまって「アッ」てなることが生身で会っているときよりも数倍あった。そういうわけで、私の性格上の問題によって「オンライン飲み会は不得手」という判断が下された。

 

モンハンのVCは全然大丈夫なのはなぜだろう。

そこで思いついたのだが、相手とモンハンや他のMMOやりながらVCでオンライン飲み会だったら解決できる気がする。要は、相手と共有している環境があればだいぶ助かるのだ。相手だけに集中しないといけない環境って私にはつらい。共有している環境があるなら別にMMOじゃなくてもいいんだけど、根暗なのでほかにいいものが浮かばなかった。なんだろう、オセロ?

 

だが上司に「FF14やりません?」「モンハンやりません?」とはとても言えなかった。アカウント教えたくないし……。上司のキャラクターが超絶美少女だったら触れていいのかどうか悩む。「体術5積んでるのに死中に活って性能欲しさですか?」とも言えないし、笛と広域化の有益性について論じたくもない。というわけで、オンライン飲み会への道のりは遠い。

飛び薙ぎ

過去作でも、一度も使ったことのない武器種があって、ランス・ガンス・ライト・ヘビィである。ガンナーは知識9割といわれるが、そんじゃあ難しいことを考えられない私には向いてないわとやる前からあきらめている。3rd? 3G? のころに弓をちょっと使っていて、そのときはなんとかなったんだけど、クリ距離とか意識しないでほんとに好きに打っていただけだったので(当時100%ソロだったからね)、今からもう一度弓を持てと言われると難しい。

 

今日もモンハンの話ね。だらだら書くよ。

逆によく使う武器は大剣、ダントツである。次点でハンマー、笛。片手とチャアクも使うけど、大剣以外は全部XXまでの話だ。WIBになってから武器の操作がいっぺんに変わってしまって、大剣の操作に慣れるのに必死でいたらヴァルハザク出てきたあたりで「もう大剣だけでいいや」と思うようになった。

大体、珠集めるのも面倒なんだよ……確率渋すぎない? やってるくせになんだけど、もっと緩くしてくれないとやる気がそがれにそがれてしまう。達人Ⅱ(4)とかMR420にして貰った一つ以外もっていない。諸先輩方からすれば「MR999になってから言え」という感じだと思うが、あまりにも出なさすぎる。ギルクエ麻痺大剣の方がまだ出たと思う。

 

大剣、本当に変わってしまった。これまで置き溜めていうのか、モンスターの頭が来る位置を予想してそこであらかじめ溜めといて溜め3ぶち込むって感じだったと思うんだけど、WIBだとタックル使って被弾前提の立ち回りだよね。真溜め狙って頭に撃っていこうと思ったらほぼ確実に被弾する。もっと上手な人ならそんなことないのかもしれないが、私の場合はタックルの被弾を真溜めの回復カスタムで回復て感じにどう頑張ってもなってしまう。溜め1→強化撃ち→真溜めが出来ればいいけど時間かかりすぎて必ずどこかで攻撃食らってぶっとんでる。モンスターの動きも早いから、マルチだと強化撃ちしてるうちに頭がホイッと違う方向を向いてしまうこともある。飛び薙ぎなんか入れるともう位置がめちゃくちゃになっちゃってなおさらだ。飛び薙ぎ、どちらかというと移動手段として使っているが、移動しながら無理やり頭に当てていこうと思うとやっぱり苦労する。

 

置き溜めが好きだった。タックルが増えたことで行動の選択肢もめちゃくちゃ増えて、大剣はかなり面白い動きが出来るようになったし、全然いまのスタイルも嫌いではない。でもあまりにも変わってしまって、ほんとーーーーーーーに慣れるのに時間がかかった。笛とか、片手とか、すごく面白そうなんだけど全然手を出せない。過去の動きを両手が覚えちゃっているので、いまから強制するのすごく骨が折れる気がする。モンスターの動きもランダムになっちゃったので、行動誘発しようとか思えなくなった。行動を覚える楽しさが減った。被弾しながら無理やり当てていくんだもんな。もうどうだっていい。

 

いっそやったことない武器を触った方が、WIBが初体験になるなら使いやすいのかも……と思ったんだけど、ランサーもガンナーも、腹立つことに大剣と珠が全然被らねえんだよな。Wはマムがきた瞬間にやめたので強壁珠とか持っていない。もうほんとどうしたらいいの。ムフェト来たのでヘビィ集めてこようかな……問題は、ガンナー優遇されすぎてて手を出したらもう抜け出せなくなりそうなことなんだよ。近接→ガンナーは思想改革並みの違いだと思う。どうすんだよほんと。はやくアルバ来てくれ、まともな形で……歴戦バフバロ同時とかだったらどうしよう。

アンという名の少女

赤毛のアンを読んだことがない。

さすがに有名な本なのであらすじ程度は知っているが、アンが古道や湖?  にキラキラネームをつけるところなど、そのどうにもメルヘンチックな感じが肌に合わないなと思って避けていた。普通の湖を"輝きの湖水"と名付ける想像力と価値観は私にはない。"センター街"を"バスケットボールストリート"と名付けるくだりがあれば面白がって読んだかもしれない。最初、岡村靖幸が名付けたのかと思った。

 

謎の二つ名を人につけてくるやつは狂っている。中学生のころ、トーンを買いに行った私は(オタクだった、今もだが)、同じく客として居合わせた、ちょっと年上のお姉さんに突然「電子怪盗さんですか?!」と話しかけられてひどく困惑した。当然人違いである。誰だよ。他人にあだ名をつけた上、決めつけで話してくるその姿勢に狂気を感じた私はおびえながら「違います」と答えた。

この店には当時流行っていた「客同士の交流ノート(客が自由にイラストを描いたりできて、それに反応したほかの客と交流できる)」があって、この電子怪盗さんとはそのノートに登場する絵がやたら上手いユーザーのことだったのだが、なんとその電子怪盗さんは私の同級生だったことが後々分かるミラクルが起こる。同級生と分かった時、敵もむやみに声をかけてきたわけではなく同じくらいの背格好のものを狙って撃ってきたのだなと感心したが、まあ今その話は別にどうでもいい。

 

そういうわけで未履修だった赤毛のアンだが、ネットフリックス独自コンテンツとして配信されている「アンという名の少女」をこの度見ることになった。ツイッターで面白いと称賛するツイートがたまたま目に留まったからだが、これがその通り本当に面白い。まだS2E3までしか見ていないが、今週中には全部見終わると思う。

ストーリーはまだ見終わっていないので触れないが、これまでの映像化されてきた赤毛のアンとは多少違う毛色の作品のようだ。映像化された赤毛のアンをアニメでも映画でもなんでも見てきた人は結構な数でいると思うが、そういう人でも新しいと思えるかもしれない。

 

アンは孤児で、偶然初老の兄妹に娘として引き取られることになるのだが、この初老のところに来る前にいた家では奴隷のように働かされていた。罵詈雑言を浴びせられ、人格を否定され、厳しい折檻を受けてきた過去を持つ。で、紆余曲折を経て初老兄妹と巡り合い、幸せな日々を送ることになるんだが、彼女のもともとの性格だということを差し引いたとしても「ほう」と思ったことがある。それは、彼女が何か失態を犯しても「だから私はダメなんだ」「私なんて何もできないんだ」「私には価値がない」みたいな、ありがちな自己否定を一切しないことだ。

 

同じタイミングで漫画「私の幸せな結婚」を読んだ。おそらく日本が舞台で、孤児ではないもののアンのように周囲からつらくあたられ自己否定をされ続け育つ美世という女性がイケメン高学歴高身長高収入と知り合い幸せになっていく話なのだが、ことあるごとに「私なんて……」「私には価値がない……」を挟んでくる。そういう、過去の経験から深い闇にとらわれてしまった悲運の女性をイケメンやその周囲の親切な人間が救っていき、励まし、本人も自信をつけていき「私はここにいてもいいんだ!」みたいになる話のようだ。美世の自己否定が強すぎる性格は、日本社会の息苦しさとか、減点方式とか、そういう背景もあって主な読者層であろう10代~20代の若い女性に刺さるんだと思う。私もそうだけど、日本人のほとんどは「私には価値がない」と結構思ってるんじゃないだろうか。おこがましいとか、何もできないとか、そういうあきらめのような自己否定をごく自然に行える。だから、自分に美世が被り、美世がなにか否定するたび「そうだよね……」とため息をつき、イケメンや周囲に美世が励まされるのを見てはまるで自分が励まされているようで感動するのである。

 

アンがミスをしても、彼女は反省こそしているものの、そのミスそのものを反省していて自分の性格は一切反省しない。自ら価値を貶めることをしない。はたから見ても結構やばいミスをしているが、マジでない。この先そういう展開もあるかもしれないが、いまのところ一切ない。ここに、私はすごく「外国の話だな」と感じた。

日本だと美世のようになるはずだ。日本人の作者がそう書く。でもモンゴメリはそう書かなかった。アンは絶対に自己否定をしない。自分の素晴らしいところを、自分で理解している。失態だけを反省して、もうしないと誓うが、自分はダメだわみたいなくだりをクドクドと挟まない。彼女が恵まれているだけかもしれないし、虐待の中で周囲がそう育ててくれただけかもしれないが、そもそも「ミスする=自分には価値がない」という発想がないように思える。

 

自分に価値があると信じているから、冒頭にあったような正直他人から見たら寒いキラキラネームを湖かに平気でつけられてしまうし、それによって他人にどう思われるも関係ない。自分が自分に価値があると誰よりも信じていて、それで充分だと思っている。だから誰かにキラキラネームを打ち明けることにおじけづかない。アンの寒いところを嫌がる人は大勢いるけど、懲りずに発信し続けることで、アンは自ら仲間を得て、イケメン高学歴高身長をゲットする。美世は待っていたら王子様が登場した。王子様が美世の価値を認めてくれることで、美世も自分の価値に気付ける。アンはフォロワーがいてもいなくても関係なく、アンとしてあり続ける。

 

どっちがいいとか悪いとかいう話ではない。アンと美世、逆の国で描かれたら逆の性格になっていたと思う。それだけのことだ。どの国で描かれた作品かによってこんなにも違う。アンが歩んでいく道を見ている日本人の私は、話には聞いていたが本当にこういう考え方もあるんだ、と目覚める思いだ。

そんな、ものすごく"外国感"あふれる「アンという名の少女」、超おもしろいのでぜひネトフリ入ってる人は見てください。映像もきれいだよ。でもさすがのアンでもいきなり他人を電子怪盗呼ばわりしないけどな。

ガ性

今週のお題は"カメラロールから1枚"ってことだけど、カメラロールに掲載できる写真があるならひとつ前の「私は根暗で……」みたいな記事を書かない。根暗でも写真くらい撮るものだが、いま見返してみたらMHWIBの装備構成を写真撮ったものしかなかった。しかもシェアではなく画面直撮りである。王ネロ、大剣でもガード性能ついてると超楽だよ。脳死で暴れることが出来る。今日はただのゲームの感想だよ。

 

大剣、というか近接、結局火力スキルは盛るもの決まってしまって飽きが早く来るだけじゃないかと思う。攻撃、見切り、挑戦者、渾身、弱特、超会心とか、このへんだよね。で、耳栓を火力スキル扱いするかどうかとか、そういう話題に発展する。耳栓の優位性について論じると大抵荒れるからなるべくそういう議論には加わりたくないのだが、WIBでは論じるまでもなく必須スキルと言われてうなずいてしまう。吠えすぎる。縄張り争いになると合計で5回くらい吠えている。その時間をすべて一方的に斬りつけられるなら今回の耳栓は絶対火力スキル。

 

ガ性とかスリンガー装填とかの補助スキル(というのか?)をどう盛りつつ火力をなるべく出すかと考えるほうが自由度があって面白いんだなと今更気づいた。TAするなら火力特化でいいし、ソロならなおさらだと思うが、マルチで遊ぶならスキルでも遊んでいいと思う。

実は最近、サークルに加えてもらった。これまでソロ生まれ野良育ちだったので、特別な固定ペアとかフレンドはいなくて、まさかゲームでも人と手を取り合わないとはと若干打ちのめされてたところもあったが、運よくサークルに入れてもらえたのであった。

野良で遊ぶ場合、当然だけどテキトーにスキルをつけていると嫌がられるので、火力だなんだと必死こいて装備を組んでいたが、サークルで(見知った人と)遊ぶ場合にはちょっと話が違ってくるのだと気が付いた。もちろんまじめなスキル装備も作るけど、大剣にガ性みたいな普段使わないスキルを入れて快適に遊ぶ、つまりスキルなんてたいていの場合はなんでもよくて、きゃっきゃ楽しく遊ぶってことの方が大事みたい。モンハンにおける社会性は効率を追い求めることではなく円満に楽しく遊ぶということだった。効率を求めた結果円満に楽しく遊べたってことなら最高だと思うし、すべてのサークルがきゃっきゃしているわけではないと思うので、あくまで私の所属しているところの話なんだけど、野良ではあまり考えられなかったことなので、いちいち私には新鮮である。

 

御託はいいとして、サークル、たのしい。みんなで遊ぶの楽しい。野良もソロも勿論楽しいよ、野良育ちなので野良の方が気楽だなってこともあるし……一人とみんなをうまく分けながら遊んでいけたら、もうちょっとMHWIBで遊んでいけそう。なんせ飽き始めてたからな。アルバどうなるんだよ。

ジャンル外

お題「#おうち時間

 

新型コロナウイルスのステイホームが始まって、古い古いと思っていたうちの会社もあっさりテレワークを導入した。古い体質の弊社にそんな最先端な対応は無理と決め込んでいただけに衝撃的だったが、経緯はどうあれ、そんな見下していた(?)弊社でさえ新しいことに挑戦するんだから焦りの方が強い。自分は「家にいられる」なんて喜んでるだけなんだからな。

 

まあそれはいい。

自宅待機について、そういうショックというかダメージというか自傷はあったが、それ以外では案外ストレスなど受けていない。つまり自粛疲れとか外出我慢のフラストレーションとか、そういうのが多分一切ない。自覚していない。だって、元から家でゲームばっかりしてるからな。

休日は予定がない限り外に出ないので、この状況で余計に予定がなくなっていくのだから、現状はそもそも平時と変わらない。予定がない=家にいる、ただそれだけだ。「おうち時間なにしよう?」なんて思ったことがなくて、じゃあモンハンやろう、金冠集めよう、夕飯豪華に作ろう、マンガ読むか、一気に服捨てるぜ、雑誌でも読むぞ、ひたすら独り言をツイートしてタイムライン汚染しよう……根暗な遊びがほとんどだがそれなりに家での人生を楽しんでいるので、やりたいことがたくさんある。

 

別に、自粛疲れを起こしている人ってやりたいこと何にもないんですねと言いたいわけではない。じゃあ逆に、これが自宅待機ではなくて「1日15時間外出してください」などの強制外出令だったとしたらどうか、て考えると、怖いよ。家を出て30分くらいで外出疲れを起こす自信がある。やおら立ち上がって「まぶしい~」とか言いながら外に出た瞬間即死だ。ストレスどころの話ではなくなる。要は普段属している環境だよね。普段からお外に出て遊んで、バーベキューだとか海だとか買い物だとかって人は、一気に環境変わっちゃったから耐えられないだろうし、その逆だって然りであって、人間って環境の変化に結構弱い。

 

何が嫌かなと考えたときに登山とかバーベキューとか海とかが浮かんだ。正確には嫌いというわけではないし頑張れると思うけど1回までだ。それを習慣にすることが私には嫌だ。いま毎日「お外で遊びたいな」て思ってる人たちって多分こういうアウトドアな遊びを習慣としてやってた人もいると思うんだけど、真逆の立場の私からしたら「なんでそんなにそれが好きなの?」になるんだね。決して否定しているわけじゃなくて……ここで単純に興味が生まれた。私は家でだらだらするのが至高と思っているが、それじゃないことを至高と思っている人もいて、それってどういうところが面白いのかちょっと知りたくなった。というわけでアウトドア系のブログを読み漁ったり、インスタグラムのキラキラ写真を眺めてみたりして最近は過ごしている。思いっきり時季外れだけど、最近は「ボードはメンタルが大事、飛ぶときの"楽しい"というメンタル」みたいな言葉になんかグッときた。関係ないけどスノーボードのことスノボじゃなくてボードっていうんだね今。こうして改めて体験談を見てみると、ちょっと興味がわく。そういう機会あまりなかった。

 

というわけで最近は家でジャンル外の体験談を読んでいる。楽しいし、1回くらいならやってみようかなという気にもなる。弊社にテレワークできたんだから私にもボードができるはず。そういう毎日のおうち時間ですよ。

わたしとかなこ 2

かなことは幼稚園から中学校まで同じ時間を過ごした。お互いゲームや漫画が好きで、近所に住んでいたから、よく家を行き来して遊んでいた。聖剣伝説3はよくできたゲームで、当時にしては珍しく(?)2コンプレイが出来たので、きゃあきゃあ言いながら何度もマナの女神を救った。お互い好きな男の子が出来て、ああでもないこうでもないと助言をし合った。絵を描くのも好きだったから、目が大きい美少女が出てくる冒険漫画を交換しながら描いた。はじめてかなこの家でお泊り会をしたときは、ありがちな話だがお互い全然眠れなくて、次の日グッタリしながら家に帰った。睡眠不足でも「今日は帰らなくていいんだ」というワクワクしたうれしさを夜更かしして楽しんだ思い出で胸がいっぱいだった。

 

リップの入ったショッパーを背中に置いて、席に着いた。買い物を終えて昼食をとることにした私たちは、同じメニューを頼んだ。食の好みも似ているのだ。当時から変わってないんだなと少し懐かしい気持ちになった。会わない間にかなこが全然違う人になってしまっているのでは、いや少しは知らない面が増えていないとおかしい、と緊張していた私は、今思えばむしろ必死になってかなこの新たな一面を探そうとしていたが、拍子抜けするほどかなこはかなこだった。

 

高校生になってかなこは隣県に引っ越した。高校は別々のところに進学した私たちだったが、相変わらず年に数回は会っていた。「同じ高校に通おう」なんて、世間の仲良しは言うのかも。でも、私は私、かなこはかなこ、それぞれ独立した世界を持っていることをお互い理解していた私たちは、合格したあとに学校名を明かしたくらいだった。この少しドライなところが私は気に入っていた。

高校生になったかなこはお化粧を覚えた。私は田舎に住む陰気なオタクだったので当時そういうものに興味はなかったが、かなこは陽気なオタクだったので、どんどん新しいものを取り入れていた。初めてお化粧をした顔で現れたかなこを見て、絵がうまい子はお化粧も上手だなと思った。それをそのまま伝えたら怒っていた気がする。

 

「めへさんさあ、最近どうなの」

かなこは多分仕事のことを言っているのだろう。私が就職して少ししてから喧嘩をしたので、実際かなこは私の仕事のことをほとんど知らない。なるほどかなこも私の新しい一面を探そうとしているようだ。

私は一般企業のしがない事務職なので、正直この手のものへの回答は困窮する。「別になんもないよ、普通」というセリフを本当にそのままの意味で言える自信がある。ほかの企業のことは知らないが、弊社の場合は事務職に何かあるときっていったら、そりゃあもうすごいやばいときなのだ。だから「なんもないよ」と言えているうちが華だということをよく理解している。

「別になんもないよ、普通」

言った後に「あ、つまらなかったな」と少し後悔したが、真実だった。そっとかなこの顔を見る。彼女はきょとんとした顔でこう言った。「違うよ、ゲームとか漫画とか。ハマッてるもののことだよ」

ほんとに彼女は、根っこは全然変わらないのだ。そしてそういう人は、こちらのこともそうだと思っているようだ。

 

高校を卒業し私は大学生に、かなこは専門学校生になった。かなこは昔から絵がうまかった。グラフィックの学校に通うとかなこから聞いたとき、ぴったりだと思った。絶対に有名になったら一番に作品を買うとなぜか私の方が興奮した。

専門学校は忙しい。このころになるとかなことはさすがにあまり会えなくなってきた。一方大学生の私は能天気なもので、人生で一番楽しい学生時代を過ごしていた。新しい友達が出来て、車に乗れるようになって、ある程度まとまったお金を手にするようになった。夜まで遊んで、学校も楽しくて、授業も嫌いじゃないし、教授もみんな優しくて、友達はみんないいひとだった。かなこを代表に、常に人に恵まれることが私の持っている最大の幸運だった。

能天気な大学3年生の私と、社会人1年目のかなことの間には知らないうちに少しずつ隔たりが出来ていたと思う。私からすればかなこはずっとかなこのままだったが、かなこからすれば私はお気楽な大学生だった。かなこが仕事で遅くまで頑張っているとき、私は初めてできた彼氏に夢中だった。かなこが仕事を持ち帰って土日も働いているとき、私にはそもそも土日の感覚がなかった。私は大学3年生で、本当にその通りの生活をしていたが、社会人経験を積み重ねはじめたかなこからすれば、私はとっくに違う世界の人間だった。

 

変わっていると思い込んでいるのは私だけなのかとこちらが面食らった。「ああ……そうね最近はモンハンばっかりやってるよ」と動揺しながら回答すると、それには私も少し興味を持っていたとかなこが身を乗り出してきた。新しいものを取り入れようとする姿勢は当時のままだった。

私たちはお互いの"自ジャンル"についてプレゼンを行った。かなこは好きなアニメがどれほど素晴らしいかを、順を追って説明してくれた。そして流れるように「今度そのアニメの映画がやるから、観に行こう」と私を誘った。あ、次の約束……。初恋かよと笑えるほど次の約束がうれしかった。何年も次の約束がなかった我々が、なんの違和感もなく次の約束を取り付けることができていることがうれしかった。

 

かなこに遅れて2年、大学を卒業し私は社会人になった私はことあるごとに「これを20歳のときに経験していたのか」と何度もかなこに思いを馳せた。楽しいこともたくさんあったが、うんざりすることも同じくらいあった。陰気なものだから、後者の方が印象には強く残る。

かなことは変わらずたまに遊んでいた。お互い社会人になったおかげで遊ぶ時間はぐっと減った。日曜日ではなくなるべく土曜日に遊ぶようになった。あまり遠出もしなくなった。そしてあるとき、こんな約束をした。働いてお金をためて、ハワイに行こうよ。私もかなこもいいねと笑いあった。でも、かなこはこのときから多分、本心じゃなかった。